事例紹介

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富士宮やきそば学会 元祖・B級ご当地グルメの麺バーに聞いてみた!

まちづくり
富士宮やきそば学会 元祖・B級ご当地グルメの麺バーに聞いてみた!
活動団体 NPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗
活動場所 静岡県富士宮市

「好きな食べ物は焼きそばです!」と言うと、必ず言われる言葉があります。それが、「ああ!富士宮出身ですもんね」という一言。でも、私が生まれた1980年代は「富士宮=焼きそば」ではなかったような気もします。いつの間にやらB級ご当地グルメの「聖地」となった富士宮市。今回は、その歴史に迫りました。

真っ青な空と富士山を背景に、街の歴史を鮮やかに彩る浅間大社の大鳥居。向かいには屋台が賑やかに並ぶ「お宮横丁」があります。ここで出迎えてくれたのは、NPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗代表理事であり、富士宮やきそば学会代表の渡辺孝秀さんでした。

富士宮やきそば学会代表・渡辺孝秀さん

渡辺さん「富士宮やきそば学会が設立したのは2000年のことです。前年に富士宮市、富士宮商工会議所の共催による『中心市街地活性化ワークショップ』が開催され、中高生から一般市民、商店主、事業者まで様々な職種の人が60名ほど集まりました。そこで、まちおこしのためのアイデアが持ち寄られましたが、はじめは富士山や湧水、そして浅間大社をきっかけにしては、という提案が多かったです」

富士山に湧水、浅間大社…どれも神聖なものなので、ちょっとネタにしにくい面もありますよね!?

渡辺さん「そうなんです。そこで、街中にあって親しみやすく、かつ、他の街が話題にしていないものはないかという話しになり、街の駄菓子屋さんで親しまれてきた焼きそばが良いのではないかという意見がでました」

富士宮やきそばのはじまりは?

渡辺さん「もともとは、第二次世界大戦後の食糧難です。GHQから各家庭に小麦粉の支給があったのですが、人間、毎日同じメニューでは飽きてしまう。そこで、小麦粉を美味しく食べる工夫をしていった結果、富士宮独自の麺が出来上がりました。特徴は、一般的な“ゆで麺”ではなく、“蒸し麺”というところです」

街の駄菓子屋さんで親しまれてきた富士宮やきそば

富士宮やきそばが全国区になれた理由はなんでしょうか?

渡辺さん「ひとつはマスコミの力ですね。初代会長の渡邉英彦さんはアイデアのみならず、言葉のセンスが光っていました。例えば、2002年に福岡県の“小倉焼きうどん”と対決をしたのですが、その対決を“天下分け麺の戦い”と名付けました。横手市、大手市と3市による“三者麺談”もしましたね(笑)。そういうキャッチコピーが沢山あったので、マスコミも取り上げやすかったのだと思います」

やきそばなだけにテッパンネタを作り出していたのですね!

B-1グランプリin富士宮。全国各地のご当地グルメによる熱い戦いが繰り広げられた

渡辺さん「そして、2006年に青森県八戸市で開催された“全国B-1グランプリ”で初代王者となり、翌年も連続優勝したことが大きかったです」

初代王者としては「B級グルメ」という言葉にどのような印象をおもちですか?

渡辺さん「“B級グルメ”といってしまうと、食べ物だけが独り歩きしてしまいますが、私たちの目的はあくまでもまちづくりです。だから、“B級グルメ”ではなく、“B級ご当地グルメ”と呼んでいます。そうすることで、食べ物と地域を一緒に発信することができるんです。そして、B級のBは“ブランド”のBと考えています」

富士宮やきそばの人気沸騰で街は変わりましたか?

渡辺さん「富士宮やきそばが人気となったおかげで、全国からバスツアーで訪れる人が増えました。また、市内でも富士宮やきそばの成功をさらなるまちづくりに活かそうということで、富士宮市が日本一の生産量を誇るニジマスの業者さんたちに発信の仕方をレクチャーしました。結果、ニジマスは富士宮市の魚と制定され、今では市を盛り上げてくれる一員です」

渡辺さんがニジマスのために汗をニジマス(・・・・)姿が思い浮かびました(笑)

富士宮やきそばアカデミーで学ぶ麺麺(面々)!

渡辺さん「その他にも、“富士宮やきそばアカデミー”を開催しています(※現在はコロナ禍のため休講中)。全国からやってきた多くの受講者に富士宮やきそばのノウハウを伝授してきましたが、卒業生も大活躍です。受講後に富士宮やきそばのキッチンカーをはじめた大阪の方もいましたし、食堂経営の立て直しのために学びに来た方もいました。いまや、“やきそばの総本山”ですね」

やきそばの聖地でありながら、修行道場としても全国各地の人と繋がっているようです♪

渡辺さん「このような催しは、地元の魅力も発信してくれます。その影響もあってか、最近は移住者も増えていて、九州から移住してきた方もおられますし、国内にとどまらず、海外からの移住者も多いですよ。今後は富士宮やきそばの海外進出も検討しています。この計画は、“海外ミッション麺ポッシブル”と名付けました。やきそば麺を使って富士宮市をPRするというミッションが富士宮やきそば学会にはあるということですね」

海外でも「Mt.FUJI YAKISOBA」は大人気!

令和4年には文化庁の「100年フード」にも認定された富士宮やきそば。「100年フード」は文化庁が地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を、全国各地の地方自治体、食関連団体と継承・発信する活動ですが、今回、渡辺さんのお話を伺い、富士宮やきそばの未来は100年どころではないと確信しました。
そのこころは…?
元祖・B級ご当地グルメの魂は、永久(A級)にまちづくりの力となるでしょう☆
おあとがよろしいようで♪